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平成30年度卒業式(3月6日)

 春の柔らかな日差しを受け平成30年度卒業式が行われ、小学部1名、高等部普通科2名、同専攻科保健理療科2名、同専攻科理療科3名、同専攻科生活情報科1名の9名が学び舎を巣立ちました。

 校長式辞では、高等部生徒が作成した針金アートの印象から次のように話しました。

 「さて、『ボクタチノ、ミチシルベ』という針金アートの美術作品が、幼稚部側の玄関に飾られています。高等部普通科の皆さんが作製したものです。その作品を見つめるうちに、立原道造という詩人が書いた詩の一節が思い浮かんできました。

  しるべもなくて来た道に

  道のほとりに なにをならつて

  私らは立ちつくすのであらう

『道しるべに頼ることもなく、ただ楽しく毎日を過ごしてきたが、ある時急に、季節が変わるように、喜びが消え去り、まるで自分自身が道しるべになってしまったかのように、茫然と道ばたに立ち尽くすことになろうとは、思いも寄らなかった。…』

 このように青春のある日、分岐点に突き当たった時の、虚しくほろ苦い心情を描いた詩の一節なのですが、私は、むしろそこに、未知の世界につながる新たな一歩ともいうべき希望の芽生えを見るのです。

  立ち止まるべきときには、しっかりと悩み、考えることが大切で、その間に力が湧いてきて、次のステップへと続く道筋が見つかるのではないでしょうか。そしてやがては、自分自身が自分を導く道しるべとなって、新たなステージへと、力強く背中を押してほしいと願うのです。視覚支援学校で学んだ日々の中にも、きっとヒントは隠されています。

  花咲く春は間近ですが、葉を落としたままの木々の蕾の中に新しい季節は既に用意されています。淡雪のベールをめくれば、ふきのとうの産声を聴くこともできるでしょう。

  このように、実は身近なところにある希望の芽を見つけるために、必要なものは何でしょうか。それは「心の中の光」であると私は思っています。百周年の記念碑にも刻まれた、「光あれ」という校歌の終わりの一節を、改めて皆さんに贈ります。

 皆さんが、自分らしい希望の花を絶やすことなく心に咲かせ、己の可能性を伸ばし、ぞれぞれの未来を切り拓いてゆかれることを、心から願っています。」

 卒業式を終え、3年間または6年間の学校生活の思い出が走馬燈のように巡ったことと思います。

 学び舎を巣立つ児童生徒に「光あれ!」

 

               
         小学部卒業 悠人さん      高等部普通科卒業 怜至さん
               
               
         高等部普通科卒業 麻由さん      専攻科生活情報科修了 大島さん
               
             

 

式場全景 

         校長式辞      
               
               
       

卒業生退場

   

 ハイタッチ! 

 

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